列車事故考察Ⅱ


安全重視をうたう報道に反吐がでます.あまりイライラしても良くないので,これで事故考察はおしまいにしようかと思います.


というのは,結局は自分勝手な意見が陳列されているなぁという事ですね.安全安全と言いますが,では貴方は企業としてどうやって利益を出して安全を確保するアイディアを持っているのかと.遺族の方,被害に遭われた方への対応に関しては,誠実な対応を期待するばかりですが,そうではなくて今後の話.いくつかの極端なパターンを考えてみます.


(1) 今後は絶対に事故は起こしません.しかし運賃を現在の倍額にします.
(2) 今後は絶対に事故は起こしません.しかし運行数を現在の半分にします.
(3) 今後は絶対に事故は起こしません.しかし今よりもフレキシブルにダイヤを変更します.


さて.これを受け入れる度量が日本人にあるのでしょうか.安全重視をうたう人々は容易に受け入れることができるのだと思いますが.




『全ての安全対策を実施する資金はない.ある程度のところで安全対策を割り切る必要がある.』



という大阪支社長のコメントが報道されていました.さて,このコメントはどうですか.こんな考え方が今の腐ったJRの体質を作り出したんでしょうか.確かに,ひっかかる所はありますけどね.

JRは民間企業であり,利潤を追求することは使命です.しかし,企業はそれぞれの形で社会に貢献する必要があると考えます.JRが社会に貢献できる形は,「より『良く』人間を運ぶ」ことに他ならないと思います.

では,良さって何なんだろうかと.

安全を十分に確保して,運賃も低価格を維持して,ダイヤも守る,それをやるとどうなるかと言いたい.JRに数百,数千億の赤字を背負わせるというのなら可能かもしれませんし,社員に過剰な労働を強いるか,社員を増員し,人件費の赤字を覚悟させるというのでも可能かもしれません.しかし,そんなことはあり得ない話.

結局,どこで割り切るかの議論になりませんかと思うのです.国民は安全な公共交通機関を得るために,我が儘ではなくて我慢する必要がありませんかと.そういった報道を期待するのですが,日本からはそういうのは出ないかなぁ.

あるいは,多少の危険,例えば5年に1回ぐらい事故がおこるかもしれない,けれどそれは仕方ないとして受け入れるからある程度の価格とダイヤを得たい,そう考える人もいるんではないでしょうか.



しかし,やはり個人的にも安全を重視して欲しいと思います.そのためにも,若干の運賃の値上げ,ダイヤの乱れは受け入れるしかないなぁと.

報道人も,多少の犠牲を私たちは覚悟するから,JRは安全確保に邁進せよ,というコメントをして欲しいのですがね.何もせずに文句を言って,得るものだけ得ようとするのは,はなはだおかしい馬鹿者だと思いますが.